- 提携割引(3〜8%)もしくは同額のオプションサービス
- 資料請求やホームページ予約では絶対に会えない優秀な営業さん(担当者で満足度が変わるため全国表彰レベルの人をお繋ぎします)
- 業界18年/建築士/宅建士の私のサポート
ご紹介特典:提携割引3〜8%・優秀な営業さん・ぽりんき間取りサポート
下記のハウスメーカーはご紹介可能ですので社名をメッセージでお送りください。
*既に打ち合わせしているとご紹介ができません。
【コスパ重視】本体価格1,500〜2,200万円イメージ
コスパ重視メーカー
- 桧家住宅(予算抑えめならおすすめ、全館空調、屋上、太陽光スマートハウス、)
- ヤマダホームズ(ローコスト価格商品あり、ヤマダ電機グループ、家電と家具がセットで買える、)
- シアーズホーム(九州)(全館空調、九州で建てるなら検討したい1社)
- パパまるハウス(北陸〜関東、一部関西)総額2,500万円でも十分に建築できるローコスト住宅。規格のプランがバッチリハマればコスパ良く家づくりが可能。ご紹介可能な会社の中で最もお安く建てられる)
【中堅】本体価格2,000〜2,500万円イメージ
中堅ハウスメーカー
- アイ工務店(北海道断熱、吹付断熱、トリプルガラス、デザイン性高い)
- 住友不動産(標準のキッチン、洗面、風呂、トイレがハイスペック、HPで外観が好きならお勧め)
- アキュラホーム(30畳以上の大空間が柱なし、耐震実験、面積大きい家安い、木造3階建)
- クレバリーホーム(神奈川)(外壁タイル標準、完成保証)
【大手】本体価格2,500〜
大手ハウスメーカー
- 積水ハウス(メンテナンスフリー外壁、営業、設計、コーディネーターがみんなトップレベル)
- パナソニックホームズ(鉄骨なのに安い、全館空調、メンテフリー外壁タイル、空気換気システム)
- ヘーベルハウス(鉄骨の大手、狭小3階建、屋上、耐震、最高品質の断熱材ネオマフォーム)
- ミサワホーム(木造の大手、契約前から設計士同席で間取りのレベル高い、制震装置標準、耐震実験、南極大陸の断熱性能)
ご相談はラインでメッセージください✨
紹介後の15大特典付きサポート
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ご紹介希望はメッセージでご連絡お待ちしています✨
ぽりんきが推奨する家づくりの流れとは?
業界15年以上の経験から、注文住宅を建てる方をサポートしている「ぽりんき」です。
家づくりは進めてみたものの、
どうやって会社を決めたらいいのかわからなくなってきた
なかなか家づくりが前に進まない
という一度家づくりは進めたけれどうまくいかない「家づくり迷子の方のサポート」をしています。
私のところに毎月50組以上の方の相談が来ます。
その方のほとんどが「家づくりがうまくいかない」ご相談です。
なぜ、私がこのようなサポートができるか?というと注文住宅業界18年で2,000組以上の方の相談に乗ってきたからです。
私が考える家づくりの成功の流れはこちら。
まずは、必ずハウスメーカーのご紹介を受けていただきます。理由は単純で、資料請求やホームページから予約すると暇な営業が担当者になってしまうからです。
私からの紹介の場合は各ハウスメーカーの本社スタッフと面談を行い、提携契約をしているため、優秀な営業さんを担当者にしてくれるシステムになっています。
そして、最も重要なことは契約前に間取りを決めることです。
ほとんどの方は契約してから、本格的な間取りの打ち合わせに入りますが、これでは追加料金が発生し予算オーバーします。
ハウスメーカー紹介を受けていただく方は間取り作成添削も含めてサポートが完全に無料です。
ぽりんきのプロフィール
さて、ここからは恥ずかしながら私のプロフィールです。
ざっくりとした経歴
静岡県の田舎の進学校卒業→建築専門学校→20歳・HM(ハウスメーカー)入社→帰宅は毎日夜中2時で休みは月1→毎日家づくりを学ぶ生活を送る→そのまま労働6年間→気が付けば周りの同期よりに負けない知識量を身につける。
年齢が上のベテラン先輩よりも家づくりに詳しくなる→27歳・他社の売り込みで疲弊しているお客様をたくさん見かける→「売り込んでも良い家はできない」家づくりの本質に気がつき始める→ヒアリングとアドバイスのみお伝えしお客様から信頼をいただく接客で社内表彰→この頃から誰もが再現可能な家づくり攻略法を編み出す→さらに信頼いただき紹介だけで仕事が回り始める→家づくりのセカンドオピニオンとして活動し始める(2年半前の話です)
この経験から家づくりで後悔しない攻略法を身につける。
失敗しない家づくりをして欲しい!!
そんな想いで家づくりサポートをしています。
幼少期からの業界経験を活かして、家づくりセカンドオピニオンの活動を続けています。
小学生のとき
私は生まれも育ちも静岡県出身です。
実家が工務店。父親が大工ということもあり、いつも遊び場は建築現場でした。
住宅業界18年と言っていますが、実は30年以上家づくりに触れてきました。
父親は、静岡県牧之原市の茶畑農家の長男として生まれたので本来は、その農家を継がないといけなかったはずなのですが、中卒で静岡市に大工として出稼ぎに出ます。
当時は、小学校などの校舎が木造から鉄筋コンクリート造に代わる時代だったらしく、仕事はたくさんあったそうです。
しかし、「コンクリートの建物作りがつまらない」と言い出し、一人単身で田舎に400坪の土地を購入し、工場を建てることになります。
これが、私の実家の場所であり、工務店のスタートです。父親が29歳の時だったそうです。
その12年後、父親が41歳の時に私が生まれます。
母親は、精神病があり、いつも寝てばかり。
私たち兄弟が学校から帰ってきても、母親は寝ていて、晩ごはんを食べずに遊んでいました。
昔の大工は、上棟の日は現場で宴会があります。
しかし、一切食事には、手をつけずその場で出た、オードブル(エビフライやお寿司など)を家に持って帰ってきて、私たちに食べさせていました。
上棟でない日は、現場から帰ってくると、スーパーに行って安くなったコロッケなどの惣菜を買って帰る日々でした。
私は、兄弟の中で唯一の男の子だったため、この頃から、なぜか(笑)間取り作成やCAD(図面を作るソフト)を覚えさせられスパルタな毎日を過ごしていた気がします。(ちなみに、私の父親は頑固すぎて、私が何を言っても聞いてくれません)
私の実家は、父親が自宅で、木を切っていた工場の2階に作った6畳の部屋が3つだけでした。
1階の工場の脇に階段があり、そこから2階へ上がります。
2階は、リビング、ダイニングキッチン、寝室しかありません。
すごく狭かったですが、私が小学校4年生までは、この工場上の3部屋しかない空間に、姉と妹と父母の5人で生活していました。
ちなみに、お風呂やトイレは1階の工場の脇にありましたから、トイレやお風呂に行くのはめちゃくちゃ寒かったです。
今はプレカット(工場でカット)が当たり前ですが、当時は、ノコギリやカンナがけなど大工仕事を見ていましたし、トンカチで釘打ち、木くずの片付けを手伝っていました。
小学生の頃からとにかく、工事現場、工場(実家1階の作業所)、敷地内にあるプレハブ事務所(パソコンと机があるところ)家づくりに触れてきました。
小学4年生のとき、実家を新築
ついに、この年に実家の敷地内に延べ床面積45坪くらいで6LDKの新居ができます。
この図面を引くのも私が手伝っていた記憶があります。
ずーっと工場の2階の狭い場所に住んでいたので、やっと自分の部屋ができた嬉しさを今でも覚えています。
自宅の大工の棟梁はもちろん、父親。
いつも見ていた光景でしたが、上棟の時に、現場にいろいろと指示をしていてかっこいいなと思っていました。
私は小学校3年生から始めたサッカーをしながら、勉強はほとんどやらずに、学校、サッカー、現場、敷地内の父親の事務所を行き来する生活を送り始めます。
いよいよ中学生活
小学生からエスカレーター式で上がった田舎の公立中学校だったので、特に普通の青春を送ります。
中学一年生の時に、友達の影響があり、サッカー部は選ばず陸上部に入部し、3年間陸上部として、400M選手、走高跳びの種目をやっていました。
中学生は部活動が忙しく、土日も、片道40分くらい自転車を漕いで河川敷で練習していたので、現場に行っている時間もあまりなく、中学生活に集中。
英語の1つの文の中に動詞が1つ。と言うことが中学三年生になる直前までわからず、勉強は全くできませんでした。
このままじゃまずい・・・。
この頃から結構高い月謝をとる進学生の塾に通うことになり、三年生から急に成績が上がり始めます。
どうでも良い話ですが、最終的な成績は、偏差値60くらいの高校に進学することになります。
高校生になり青春を味わう
田舎の進学校に入学し、楽しい毎日を過ごします。
部活は新聞部やマラソン同好会に入部し、ガソリンスタンドのJOMOでアルバイトの日々です。
この頃周りの友達は、携帯電話を持っていましたが、私は買い与えてもらえず友達の輪に入れない地獄の日々を過ごします。
勉強の方は、一年生の集大成として、文系選抜、理系選抜クラスへの専攻があったのですが、ダメダメで文系の一般クラスに進級しました。
ずーっと平凡な高校生活をし、進路は「なんとなく大学」を考えていました。
自分には将来やりたい夢もなく、周りが大学を目指していたので、私も「なんとなく大学」を目指していたのです。
高校三年生の秋に進路変更
ある日、何気なく、自分の進路について考えることになります。
「このまま大学に行って何をするのだろう?」何もやりたいことが見つかりません。
そんな時、土日に父親の手伝いで現場に行く日があったんです。
手伝いと言っても、掃除や片付けそんなことでしたが、私にとってはとても新鮮で、「家づくりも悪くないじゃん」と思えるようになり、ついに決断します。
そうだ!住宅業界に進もう!!
そこから、急に進路変更することになります。
進路と言えば、どの家庭も両親と真剣に話をして、決めるものだと思いますが、私の場合は、父親も現場でいない。
母親はいつも寝てばかりだったため、相談相手がいませんでした。
そのため、いきなり、「建築の専門学校に行こう」と決めるのでした。
夜中に実家の事務所に忍び込み、建築の専門学校をインターネットを使って調べて、願書を取り寄せました。
「東京に良い建築の専門学校がある」
「東京ってなんかかっこいい」
仲が良い友達はデザインの専門学校に上京するつもりだったので、私も東京に行くことはかなり影響を受けました。
そこから東京の建築系専門学校に行くことを決断します。
いよいよ、進路変更を伝える日。
最悪なことに、担任の先生が学年主任で生徒の大学進学率を気にしていました。
高校三年生の秋の昼休み担任の先生に「大学進学やめて、建築の専門学校に行こうと思います」と勇気を振り絞って伝えました。
案の定、うるさいくらい説得されましたが、なんとかその日を終えることができ進路変更に成功します。
その後は、無事に、専門学校入試に合格するのですが、すでに受験料を支払ってしまったセンター試験(共通テスト)を受けたり、代ゼミのサテライト授業を休日に受けました。
「センター試験なんて受ける必要ないじゃん」って思うかもしれません。
でも私にとっては受験料だけ支払ってお金がもったいないって思ってしまったんです。
親が自営だとそうなるんですかね?
受ける意味はないけど、3教科受験して、国語と英語は偏差値50を超えました。
ちなみに、日本史は偏差値35くらいでした笑
東京の建築系の専門学校へ入学
上京し、東京での一人暮らしが始まります。
全く土地勘はありませんでしたが、不動産屋さんが進めるがままに、西武新宿線沿線の家賃6万円の1Kの部屋を借りることになります。
とにかく、お金がなかった・・・。
東京ではオリジン弁当が有名ですが、そこで2年間働きました。
ここでは一人暮らしを満喫し、友達と夜中までカラオケに行ったり楽しい毎日を過ごしました。
いよいよ卒業間近。
次の進路が決まったのは、専門学生二年生の冬。本当にギリギリで入社が決まったような感じです。
無事に二年間で卒業します。
ブラックハウスメーカーへ入社
社名は言えないのですが、当時、西東京市の住宅展示場の中にあった、ハウスメーカーに配属されました。
当然新卒なので4月入社なのですが、同じく別会社から中途入社してきた人が私の上司でした。
その上司はとあるハウスメーカーでトップセールスになった人だったのです。
この人が厳しい方でした。
毎日の帰りは夜中2時。休みは月1回。そんな地獄の生活が始まりました。
ザ・営業の上司でした。
とにかく、仕事づめの毎日です。
しかも、私は、日々の努力を怠るなと指導されていて、自宅に帰ってから、新しい家づくりの知識を調べて上司にメールしてから寝るという生活を送っていたのです。
例えば、シロアリの薬について、ワードでレポートを作っていたのです。
体調を崩し、肌もボロボロでしたが必死についていきました。
ただ、そんな生活も半年もすると自然と慣れ、気がついたら誰にも負けない家づくりの知識が身についていました。
同期にはもちろん、10年以上の社歴がある先輩社員にも負けない実力がつき、社内でも評価されるようになりました。
20歳で新入社員になってから18年。
途中、東海エリア、全国表彰、店舗でのチーム表彰、赤字支店のV字回復の貢献。
この経験から全力でサポートをしようと独立。今に至ります。
冒頭にも書きましたが、私の実家が工務店だったため、父親は平日現場、休日は敷地内の工場で木材の加工をしていました。
実は私は旅行に行った記憶がほとんどありません。
そしてこの経験を娘2人には絶対にさせたくないと思い、家族で色々な場所に旅行に行っています。
私の夢は全国47都道府県にサポートしている方のお家を建てること。
出来上がったフォロワーさんのお家に遊びに行きながら家族サービスができたらいいなと思っています。
ぜひあなたのお家をサポートさせていただき、お家ができたらぜひ遊びにいかせてください笑
さらには、全国でオシャレで良い家づくりをしている会社を発掘するためにYouTubeでルームツアー動画を撮っていきます。
今後もあなたの家づくりが成功するようにサポートするのでメッセージお待ちしております。
最後までお読みいただきありがとうございました🙇♀️